父のこと~昔ばなし2

父の家族

父の家族は、佐賀のお姉さん、埼玉のお姉さん、諫早市で魚屋をしていたお兄さん
そして父は末っ子でした。
男前、美女の家系だったそうです(笑)
特に佐賀のお医者さんに嫁いだお姉さんは女優並みに美しかったようです。
結婚報告に会いに行ったときに 病院に入院していたお姉さんに
「見とれてしまった」と母が言っていました。

私が生まれたときには祖父は亡くなっていましたが
祖母は私が幼少の頃にほんのひととき一緒に住んでいたことがあります。
記憶に薄いですが・・可愛がってくれたようです。
祖母は亡くなるまで、私の赤ちゃんの頃の写真を大事にしていて
お見舞いに来る人や看護師さんに写真を見せてかわいい孫を自慢していたと聞きました。
中学生の頃にお見舞いに行った時もその写真をみせて私たちに自慢したようです(笑)
母が「その孫はこの子だよ。大きくなったでしょ。」って言っても理解はできなかったようですが。

うちの家族

父の子供は私を含めて3人です。
この時代には珍しく洗濯したり買い物に行ったりしていたようです。
私のおむつを小川に行って洗っていたとか・・。
「今日はお母ちゃんは病気か?」って聞かれて怒って帰ってきたとか。
「俺が洗濯したら悪いのか!」だって。

お正月の近所の集まりには私をいつも連れてってくれました。
大人はお酒を飲んで語っていましたが子供にはジュースがでたので
うちではなかなか飲めないこともあり ご機嫌でついていっていました。
写真もよくとってくれていました。
昔はそんな感じだったのかもしれませんが、かなりの量の写真が残っています。
泊りの家族旅行などは行ったことはありませんが日帰りの海水浴は行っていました。
海の中は父の得意なところです。
その時の私の面倒は父がみていたようです。母はおしゃべりが忙しいので・・。
お風呂も小学生になるまでは父の担当でした。
お父さんが子供の世話家事をするのは珍しい時代です。
父は子煩悩だったんでしょうね。よその子供も好きでしたね。

父の晩年

父は55歳の定年で会社を退職しました。
そのあとは2年間、職業訓練校に通っていました。
ずっと若い20歳代の同級生とも仲良くしていたようです。
自宅で勉強を教えたり野球をしたりしていました。
体力的にはきつかったようですがとても楽しそうにしていたようです。
ボイラーや電気関係の資格もとりましたが再就職することはありませんでした。

学校が終了してから父は家にこもるようになりました。
アルコール中毒になっていたように思います。
病院に入退院を繰り返して近所の病院で63歳で亡くなりました。

入院したことも知らなかったので突然の知らせに驚きました。
大阪で働いていた私は 知らせをきいて急いで帰りました。
父が穏やかな顔をしていたのは覚えています。

花嫁姿も孫も見せてあげられなかった。それが心残りです。
私や家族を愛してくれた父はちょっと早く逝き過ぎたんですよね。
大人になって相談したいこともいろいろあったのに・・。

父が亡くなってから 一度だけ父の夢をみたことがあります。
電車に母と3人で乗っていて いつのまにか父だけ向かいの電車に乗っていました。
声をかける暇もなく発車してしまい すごく寂しい気持ちになりました。
父が亡くなってから その実感があまりありませんでしたが、
夢から醒めたあと 私の中に現実感がやってきたようです。

父が早く亡くなったぶん、母が長生きをしてくれてるのかもしれません。
母にはいろいろと悩まされますが なるべく楽しく生きてくれたらいいなと思います。
それこそ父の分まで・・。




コメント

タイトルとURLをコピーしました