父のこと~昔ばなし1

長崎の諫早生まれ

私の父は、大正12年8月23日長崎県の諫早市生まれです。
真面目で冗談の通じない頑固な人でした。
勉強ができる方でしたが 英語が大嫌いだったので
英語の授業のときは学校の屋根裏の隠れていたという逸話を何度か聞きました。

予科練

中学を卒業してから予科練の試験を受けて
希望通り受かったので最初はパイロットとして訓練を受けていました
予科練とは「海軍飛行予科練習生」及びその制度の略称です。
その頃、14才半から17才までの少年を全国的に選抜し兵隊として訓練していました。
戦地に行って生死をさまよった経験もありました。
ラバウル付近で海に投げ出されて木の破片につかまって漂ったこともあったそうです。

予科練時代の話は何度も聞いたのですが、私の記憶にはあまり残っていません。
お酒を飲むと口が軽くなり そんな話ばかりするので私はうんざりしていました。
記録を残しておいたらよかったなぁっと今では思います。

訓練を続けるうち 視力が悪くなってパイロットを続けられなくなり整備兵になったようです。
パイロットの中には特別攻撃隊として出撃した人も多いので 
整備兵になったからこそ生きていられたのかなぁと思います。
戦争が終わってから 予科練の仲間で年に1度くらい集まりがありましたが
父はほとんど参加することなく参加費のみ払っていたと聞きました。
仲間をとても大事にする人だったし辛い思い出ばかりでもなかったのに
参加しなかったのはなぜなんでしょうか?
母に聞いても「不思議だね」って言っていました。

会社員時代

戦争が終わってから 山口県のメーカで事務職をしていました。
そこで母と知り合って結婚しました
その頃、組合活動が盛んだったので組合の長としても活動していたいたようです。
母が最近、一番悔やんでいるのは”組合の長をすることを許したこと”だと言っていました。
責任感が人一倍あった人だったのでいろいろと大変でしんどかったんでしょうね。
お酒が好きで よく同僚と家のみしていました。

続く・・

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