母のこと~再度、3月の帰省

3月に帰省した2日後、施設長さんから連絡がありました。

「熱がまたでて 呼吸が苦しそうです。
意識ははっきりしていますが主治医に相談し病院に救急搬送することになりました。
私が付き添います。○○市民病院です」

「○○市民病院で処置をしてもらいましたが ここではこれ以上の処置はできませんので
違う病院をさがしてもらっています」

○○市民病院の医師から
「こちらの病院ではこれ以上処置できませんので
呼吸器内科のある〇〇医療センターに受け入れてもらえることになりました。
搬送してもいいですか?」
病状も説明していただきました。
左の肺が真っ白です。間質性肺炎の悪化と考えています。
心不全もあり腎臓の値も悪く酸素飽和度も下がっています。
今後、痛みがひどいようならモルヒネを使ってもいいですか?
意識はしっかりしていますので話せます」

搬送されてから○○医療センターの医師からも連絡をいただき
今の状態とこれからの処置の進め方を簡単に説明してもらいました。
私が思っていたほど軽いものではないと感じました。

翌日、新神戸から新幹線で向かいました。
新山口駅までのぞみで1時間半・・速いですね。
そこからタクシーで行きましたが、面会は14時からとのこと。
がっかり・・先に知らせたほしかったわ。
こんな時でも例外はないんですね。
母も不安だろうし すぐにでも様子が見たいのに・・・。
ただその間、地元の友人がlineで多くの時間をつかって励ましてくれました。
地元に帰るときは必ず連絡している友人です。
その友人もお父さんが入院しているのに・・感謝です。

1時間半待って、14時に面会しました。
ぐったりして息が苦しそう。両手にはミトンをしていました。
動ける足をやたら動かしていましたね。
沢山の管をつけ機器が置いてあり そんなに広くない個室です。
母に話しかけたら少し目をあけて
起こして」って言ったり「ミトンをはずして」って合図をします。
「のどが渇いた。ジュースを飲ませて」って。
「今はできないよ」
「なして(どうして)?」
「しんどいよね」って肩をさすりました・・40キロもない体はガリガリ
みるのもつらい状況でした。
こんなにぐったりした母をみるのは初めてでした。

30分くらいしたら女性の主治医がきて今後の説明を丁寧にしてくれました。
「ステロイドを500投与します。
これは応急処置でながくは続けられないので その後、体重くらいの量にします。
強い薬なのでほかに副作用がでてくるかもしれません。
その都度、いろいろな薬や量を増やしたり減らしたりで対応していきます。
熱が37度あり脈も100超えている。
酸素飽和度も90を下るときがあり安定していません。

その後、体調が上向きに安定すればリハビリ病院に転院してもらいます。
治療しても上手くいかなければ緩和ケアになります。

本人の意向で心臓マッサージとか遺漏とかの延命処置はしません
痛いのは嫌だと言われてたのでモルヒネをつかうかもしれません。

点滴での栄養も限界があるので口から薬をのんだり食べたりできるように嚥下の先生と連携をとって練習していきます」
言葉を選びながら それでもはっきりと話してくれる医師に安心しました。
「わからないことは何でも聞いてください」と言ってくれて
これまで、女性医師にいい印象をもったことはありませんでしたが
この医師でよかったなって思いました。
自然と「よろしくお願いします」と頭を下げることができました。

看護士の姉の話だと大きな病院には長くはいられないから転院は15日くらいになるだろうとのこと。

1時間後くらいに兄が車でやってきました。
宮崎からの長旅です。
兄が来たので、私は受付へ入院の手続きに行って何枚もの書類を書きました。
これも大変・・・母のマイナンバーがあったので1枚くらいは少なくなったけど。

翌日の母は眠っていました。
朝、暴れたので睡眠薬を処方されたそうです。
「××さんの法事にいくから」っと起き上がろうとしたり暴れたらしく。
ミトンもひもでベットの柵につけられていました。
ミトンがなければ管も抜いてしまいます。
主治医が
「ステロイドを500投与しましたが思った以上のいい値はでませんでしたが
長くは続けられないので 明日からはステロイドを40にする」とのことでした。

500から40に減らす・・いよいよ覚悟を決めないといけません。

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